先日、3日間かけてセミナーに参加してきました。
このセミナーの特徴は、グループワークが多いこと。
一つの章が終わるたびに、セミナ参加者同士で
ペアを作り、その章で学んだこと・気付きをシェアするという流れでした。
教えることで教えられる
教えることで教えられる、という言葉を良く聞きますが、
その意味するところは
- 自分が知らないことは教えることができない
- 人にちゃんと教えるために一生懸命学ぼうとする
- 人に教えることで(教えることができない部分に気づき)己の足りない部分をしる
- 人に教えようと声を出すことで、五感を刺激し記憶に定着させる
などでしょう。
が、
上述した「教えることで教えられる」の効果は、結局メンバーによって変わります。
例えば
- 自腹でセミナーに参加しているやる気ある人
- 会社の指示で仕方なく参加している人
では、同じ内容を聞いてもそのあとの効果が全く変わってしまいます。
一見当たり前のようなことを聞いたとき
前者は何を聞いても「何か一つでも多く学びとって帰ってやる」と思うのに対して
後者は「なんで当たり前のことをいっってるんやろ。全部実践できとるし。 早く帰りたいわ」
なんて思ったり。
で、問題はグループワークがある場合、
後者は、グループ全体に非常に悪い影響を及ぼし得るということです。
「場の空気」がとてつもなく淀んでしまいます。
上手く取り繕うとしていても、温度差を隠しきることはできないのです。
自分一人ならまだしも、周囲の人に悪影響を及ぼすのは避けたいところ。
「場の空気」というのは非常に抽象的な表現ですが
やはり「空気」としか表現のしようがありません。
馬に水を飲ませるには
この様な状況から
「馬を池に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」
という言葉を思い出します。
いくら会社が社員を教育しようと躍起になっても、本人にその気がなければ意味がありません。
連れて行き損です。
会社側から「折角労力かけて連れてきたのに、なんで水飲まないんだ!」とイライラしちゃいますしね。
会社がまず行わなくてはならないのは「馬の喉を乾かす」こと。
分かりやすいのは、危機感を植え付ける
- このままでは昇進できない
- このままではクビ
- このままでは減給
- そもそも会社が存続するか分からない
(個人でも食べていくレベルのスキルを身に着けよう)
などでしょうか。
教えるから教えられることはあるのですが、それはメンバーが互いに切磋しようというときにこそ、ということで。
自分自身、気を引き締めて行きますよ。
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編集後記
親族の予定があり新潟に来ています。
日本酒をがぶ飲みすることになりそう。。。
一日一新
燕三条駅
鶴齢、真野鶴