【157】頑張らないことを頑張る(続

前のエントリーの続きです。

なぜ「そんなに考えなくてもいいのではないか」と思うか。

それは「概念自体が自分自身が作り出したもの」であるからです。

例えば

「お金持ちになって高級車乗り回したい」

「田舎に一戸建て立てて、大きな庭で犬を数匹買ってのんびり暮らしたい」

「世の中の人のために尽力したい」

「自己実現したい」

など、いくつか挙げましたが

そういう「思い」は全て自らが作り出した想像に過ぎません。

こう考えれば「自分探し」なんて言葉も軽く感じます。

五感を通じて色々な感覚を得ている時点で、そこに自己が存在しているからです。
何かを感じる、というところに自己が存在している。

また「感じる」と「思う」は別の事です。

何かを見たり、聞いたり、触れたり、食事をしたり、匂いを嗅いだりすると
何かを感じます。
ここまでが文字通り「感じる」ということ。

そして、そこから

「あのお花綺麗だ」
「騒音がひどい、私の集中をそぐためにわざとあの人はうるさく音を立ててるのかしら」
「マシュマロみたいな触感で何か気持ち良い」
「なんか臭い、自分が臭いって思われたらいやだな」

などの思考をすることが「思う」こと。

感じたものを、その人の経験などによって構成されたフィルターを通じて、思うことが始まります。

話を戻して「なぜ働くか」「私が何によって名前を覚えられたいか」などの問いは
非常に考えさせる深い問いです。

その一方で、自我・エゴとなってしまっていないかという部分も同時に感じてしまいます。

それがこじれていくと
 「俺はこんなに考えていないのに、他の人はなんで何も考えてないんだろう」
 「俺はこんなに考えていたけど、この人の方がもっと考えている!すごい!くやしい!」
といった他人との比較になってしまったりして、精神上非常によろしくありません。

何も考えないことと、深く考えること、

この両極端をどのようにして折衷させるかが

ここ最近の興味です。

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今日の学び
「 頑張ることがいいことなのか。
  頑張りすぎ、気負い過ぎずに力を抜く方がいいのではないか。」

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