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【175】人と話すことが難しいんすけど

最近、人と話すのって難しいな、と感じている。

先日親戚のおばさまと話す機会があり、
その時に私が

「来週はハーフマラソン走るんです。
 近いうちにトライアスロンもやろうと思っているんですよ。
 長い距離のレースだと、スイムが約4㎞、バイクが180㎞、ランが42㎞あるらしいですよ。」

というと、おばさんが

「すごいわねー、どうやって休みとるのかしら?」

とおっしゃった。

そのときの話している空気が何とも説明できないのだけど、

このとき私の頭は「休み」という言葉についてギュルギュル回転していて

「北海道や長崎などで長い距離のレースがあるのを知っていて、
 どうやって年次休暇取るのかときいてるのか?でもそんなことを聞くわけないよな」

 というように訳が分からない方向に深読みしてしまった。

2秒考えて「どのようにレース中に休憩を取るのか」と聞いているのだろうと察した。

そこで

「自転車に乗りながらご飯食べたりしてるんじゃないんですかね?」

と適当に答えた。

今思えば、休みをとる、と言われれば休憩を取ることと考えるのが
素直な気もするけれど

そのときは
そもそも競技中は「常に動いている」はずだから、ということで
「休みを取る」という考えが頭になかったのだ。

バスケットボールの試合に出場しているときに、どうやって休みをとるの?
って言われても、
動きに緩急はつけるけども、基本的にプレーに参加するので
休むのはメンバーチェンジしてベンチに座っているときだろう。

トライアスロンはメンバーチェンジもないし、常に動いているので
「休む」という行為は競技前や競技後にしか行われないはずだ!

と、この様な考えが回っていて、回答が遅れてしまい
すこし微妙な雰囲気になってしまった。

この時の、おばさんと僕との状態を僕は「共通言語が無い状態」と考えており、
接する機会が増えてくることで、相手の思考パターンが徐々にわかるようになり
「この流れならこの人はこれを聞きたいんだ」など、察することができるようになる。

発した言葉に含まれる本当の意味を、お互いに察しあうことができるようになった場合に
「共通言語ができた状態」になる。家族や旧い友人の様に。

さて、初対面の相手など、
共通言語がない時にどのような対応を取るかは個人的にとっても難しい問題なのだが

今回の場合、もし「どうやって休憩するのかしら」と言われたら素早く理解し、相手の求める答えることができたと思うし

今回の様に「休みをとる」と表現された場合でも
あまり考えすぎずにテンポよく、とにかく思いついたことを言ってしまえばよかったな、とも思う。

正解などないのに、正解を答えようとするから会話のリズム・流れがくるうのだなぁ

と思った今日この頃。

人と話すことは簡単だし、難しい。

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今日の学び

お互い日本語が話せるからと言って、それが共通言語を持っているということにはならない。

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ちなみに私は、言葉の意味を勘違いして、変に深読みしたり、
逆に、真意を取らずに表面だけをなぞったりすることがしばしばあるようで

そんな時に、周囲の人から「普通こういう風に意味を取るでしょ」「常識でしょ」などと言われると

え、あなたの言う”普通”って何?”常識”ってなに?
もし私が日本語が話せる外国人だとしても同じ風に思うの?
自分が「空気を読める」ことをアピールしているの?

なんてひねくれた感想を持ちます(棘のある言い方されたときに)。

だからこそ、自分の意図が相手に伝わらないときには
「自分の表現方法がまずいのだな、違う表現で伝えよう」
と意識し、実際に多角的なアプローチで物事を切り取って、相手に伝えたいと感じています。

読書や旅行などの経験が、そういう多角的な視点を得るのに役立つのでしょうか。