※映画「ショーシャンクの空に」のネタバレがあります ご留意くださいませ※
表題の通り、ショーシャンクの空に という映画を見ました。
1994年に公開された作品で、かなり有名だと(話をすると身の回りの人が割と何かしら知っているので)思っています。
この映画の存在を知ったのは高校生のとき、きっかけはBECKというマンガの中の、とあるシーンでした。
ギター少年である主人公が、通っている学校の放送室に籠城し、学校全体に音楽を流すのです。
その後、主人公は取り押さえられ、担任の先生から事情聴取されます。
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<主人公>
『ショーシャンクの空に』っていう映画があるんだ
無実の罪で刑務所に入った主人公が
『フィガロの結婚』っていう オペラの曲を刑務所の中で流す……
一瞬囚人たちが 自由を感じるという
とても感動的なシーンなんだ
<主人公の担任の先生>
ここは刑務所じゃないよ!
<主人公>
本当は 一人で聴こうと思ったんだけど
ふとそれが頭をよぎったんだ
こんないい曲
みんなに聴かせない手はないって
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ハロルド作石
『BECK』4巻 p.104-105
(テクスト礼讃【ソラマメ】 さまから引用させてもらいました)
ということで、好きなマンガの重要なシーンで紹介されている映画なら
見ないわけにはいかない!
と思い立ち、近所のレンタルDVD屋で借りて、見たのでした。
その時の感想は「いい映画だな。一芸は身を助けるってやつだな」。
会計のスキルを持った主人公に対して、こう思ったのを覚えています。
それから約十年後の今、
些細なきっかけで再度 ショーシャンクの空に を見ました。
びっくりです。
以前見た作品で、あらすじも大方覚えていたはずなのに、
改めて見てみると感じ入る部分がかなり変わっていました。
例えば下記の様な点。
・「アイルランド系さ」という一言に込められたジョークの意味
・「人の心は石でできているわけではない。誰にも奪えないものがある」
「心の豊かさをなくしてはならない」 といった言葉たち
・図書室を作るために州議会へ手紙を毎週送り続けたこと。
そして、初めて州議会から反応が返ってきたときの
「たった六年で」「今度から週に二通送ろう」とさらっと言ってしまう姿勢
・聖書が重要な意味を持っていること
10年前にはそれほど強く記憶に残らなかったはずのシーンが
なぜかアンテナにビシバシ引っかかってきます。
このブログの過去の投稿
と関連しますが、
やはり
「自ら行動して、どれだけ経験をしたか」が自身のアンテナを大きく広げるきっかけになる」
と 感じています。
行動してアンテナが広がると、色々な物が引っかかってきて
それに触発されてさらにアンテナが広がって、、、
というループがあるようです。
ということで、私が今まで抱えていた
「小説なんかただの娯楽にしか過ぎない。
それなら実利に直接結びつくビジネス書を読んだ方が良い」
という考えは
「 人間を無機質に並んだ石の様に捉えており、
なおかつ非常に短期的かつ狭小な視野によるもの 」
という解釈に変わってきているし
(小説を読めば作者の意図、登場人物の心理的背景を
想像できるようになってくるとか。
人とコミュニケーションするときのベースに知らず知らずなっていた、とか)、
「テレビを見たらバカになる」
という考えは
「自分がバカになるような見方をしてしまっている」
という、思考習慣に問題があるのだと気づき始めています
(テレビを見たらバカになるから見ない、と思い込んでいる人も
集中してテレビを見れば
「こういう言葉があるのか。こういう対応の仕方があるのか」
という気付きがあるはず。
番組の内容により密度の差はあるだろうけども)。
約10年ぶりに同じ映画を見たことで
上述した”アンテナ広がるループ”が
(その広がる速度は遅かろうとも)
回っているんだなと気付き、
同じ本・映画・音楽などに時間を置いて触れることが
自分自身の変化を客観視する材料となりうることに
気づいた今日この頃でした。
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今日の学び
「
時間をおいて同じ作品に触れてみる。
」