「量質転化」とは、哲学の用語で、マルクス主義における弁証法の基本法則の一つです。
たくさんの量をこなしてゆけば、それがいずれ質的な変化を生みだすということを表しています。
しかし、ただ漫然と量をこなせば良い質の変化が生まれるかと問われれば、その答えはNOでしょう。
囲碁の場合
週に一度、StartupIGO!!という団体が主宰している朝囲碁に参加しています。
この朝囲碁中に、先生から指導を受けているときの一言が印象に残りました。
「一手一手の意味を考えながら打つ人が上達します。
ただ何となく打っているだけでは上達は遅いです。」
少し表現が違うかもしれませんが、こういうことをおっしゃっていました。
これは「ストーリーを持て」ということだと勝手に解釈しています。
囲碁は陣地を取り合うゲームですが、その性質から政治・兵甲に喩えられることが多々あります。
自分自身が「どのようなストーリーをもって政治を行うか、戦を進めるか」というイメージを持って臨まなければ
支離滅裂な結果が待っているだけでしょう。
相手の一手一手にその都度迎合するのでなく、あくまでベースには自分のストーリーが流れていなければ
高みに向かうことは難しそうです。
合気道の場合
週に一度、合気道の稽古に参加しています。
稽古中に、門下生の一人がつぶやいた言葉が印象に残りました。
「形だけ真似しても上達しない。
一つ一つの技の意味を考えながら、稽古中も研究しながら取り組まなければならない。
そして数多の技に共通する原理・原則を理解すること。
ここをおさえることができていなければ、段位を持っていたとしてもそれは形だけ、意味が薄いと私は思う」
合気道、実際に体験して分かったのですが、人がやっている通りに形を合わせるだけならさほど難しくはありません。形を合わせるだけ、というのは
- 相手に右手を取られたら、その右手を軸にして回転して・・・
- 足のステップはこういう風に動かして・・・
と、例えるなら相手とダンスをしているような感じでしょうか。
この点、先生や上手い人と組むと
- しっかり関節の極(き)められていたり
- 重心の取り方が絶妙だったり
- 組む相手の体格や、力の入れ具合に応じて捌(さば)き方を変えたり
と、実に奥深い要素が盛りだくさんです。傍から見れば”ダンス合気道”と同じように見えるのでしょうが中身は全く違います。
これは体験しなければわからない感覚ですし、自分自身が技を意識して取り組まなければ
いつまでたってもダンス状態から抜け出すことはできなさそうです
(ダンスをdisってるわけではないですよ、合気道という武道が成立しない、と言いたいだけです。念のため)。
ブログの場合
2014年4月28日から、毎日一投稿ペースでブログ更新を続けています。
今まで何かを継続することがなかったので、継続する習慣をつけようと思い始めたのですが
日記代わりだったり、義務感で書いてしまっていたり、夜寝る前に書くので寝ぼけながら支離滅裂な文章を書いていたりすることが多かったです。
当初の目的は「継続すること」だったため、それを満足はできているのですが
段々と毎日更新が辛い状況となってきました。
これは「人に読んでもらうこと」「人に価値提供すること」を心がけていなかったが
一因だと考えています。
「とりあえず毎日書けばいい」から、特定の読者を想定して、その人に価値を与えることができるよう、
最低限の文章の体裁を保つようにしたいと今は考えるようになりました。
折角毎日書くのであれば、何かしらのテーマ・意味づけをおこなった方が上達は早いでしょう。
まとめ
量質転化、量をこなせば質に転化するという言葉はあるものの、
量の大して一定の質を保つ(または保とうと努力する)ことがなければ
いつまでたっても質への転化が訪れず、平行線のまま人生終わってしまうかもしれません。
「質に転化させる」という心意気を持ちましょう。
自戒の念を込めて。
今日の学び
「
量質転化”させる”意識を持って行動する
」
=====
編集後記
今日は朝囲碁、合気道、プールからの千葉旅行(?)という盛りだくさんの一日。
合気道で肩がやわらかくなった状態で泳ぐと、タイムが縮まることを発見しました。
一日一新:
スイムドリル
ゴントランシェリエ