「量質転化」とは、哲学の用語で、マルクス主義における弁証法の基本法則の一つです。
たくさんの量をこなしてゆけば、それがいずれ質的な変化を生みだすということを表しています。
効率ばかりを追い求めていたあの頃
量質転化という言葉を知るまでは「量」と「質」が対義語であるかのような印象を持っていました。
「量を取るか質をとるか」という表をよく耳にするように
互いがトレードオフ(あちらを立てればこちらが立たず)の関係にあるように思っていたのです。
こんな認識で学生生活を過ごしていたものだから、少ない量で高い質を出すことを求めること、
たとえば「いかに効率よくテストで良い点とるか」なんてことばかり考えていました。
が、
今思い起こせばその当時私が「質」であると感じていたテストの点数は全く持って「質」足りえなかったのです。
愚直に量をこなし質が変化した経験
効率という言葉に踊らされ、テストの点数を取るため、単位を取るために行った勉強内容はあっという間に記憶から抹消されてしまいますが
高校生のときに初めてパソコンを手にして以来、夢中になってとりくんだパソコンいじりテクニック(主にエロが原動力)については、明らかに今の私のベースを築いていると感じます。
気になることを調べては、全くわからない専門用語の海にもまれ意気消沈(当時はログインやサインインという言葉すら意味不明でした)、それでもエロへのパッションだけを頼りに突き進んでいくことの繰り返しです。
効率の良い悪いということなんて考える余裕もなく、チャットで捕まえた人に質問浴びせまくるなど、ただただもがきまくったあの日々。
そして、苦心しながら収集していたエロコンテンツの容量が5GBを超えたあたりから、
エロまっしぐらなパッションのベクトルがIT技術へと向き始めました。
量質転化です。
なんとなく、「パソコンって魔法の箱だな」「ITってすごいな」という感覚が湧いてきたのです。
例えば、今までVHSやDVDという媒体をやりとりしなければ見ることができなかった動画が、
ネットワークにつながっているだけでファイルとして見れるんですよ。
パソコンというディジタル機器、突き詰めれば0と1の世界で動画や音声、写真、テキスト、プログラムなど
様々なものを表現できる、かつ、ネットワークを通じて共有できるということがすごいと思うようになりました。
考えるより実践しろ
どうすればうまくいくか、を考えることも重要とは考えますが
最近はそれよりも愚直に行動することを重視しています。
愚直に行動して手足を動かしていると「体が学ぶ」「体が記憶する」という働きが起こるような気がしているからです。
一生懸命に頭を働かせようとせずともひたすら行動して量を重ねていけば、
勝手に(無意識に)最適化が施され、気づけば質が変化しているはず。
何の分野でも10000時間練習すればその分野での一流人になれると良く聞きますが
まさにこれを表しているのだと考えています。
そして、10000時間も練習するには「好きなこと」「没頭できること」が不可欠です。
好きじゃなければ飽きちゃいますから。
自分は何をやっているときに時間を忘れているか、
そんな問いを投げかけてみましょう。
今日の学び
「
圧倒的な量を費やすこと。費やせる分野を探すこと。
」
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今日はトライアスロンレースに向けての準備ミーティング。
これから足りない装備を買い揃えつつ、トレーニングもラストスパートです!
一日一新:
・WordPressに各種プラグイン追加
・Simplicity