【264】暗黙知と見取り稽古

合気道の稽古に週に一回ペースで行っています。

一回の稽古時間は1時間30分程度で、体捌きなど覚えることは多く

翌週の稽古時には忘れてしまうのですが。。。

■暗黙知

さて、まずはタイトルに書いている暗黙知について、言葉の定義を調べてみると(wikipedia)、

”暗黙知(あんもくち)は、認知の過程あるいは言葉に表せる知覚に対して、

(全体的・部分的に)言葉に表せない・説明できない身体の作動を指す。

暗黙知とは「知識というものがあるとすると、その背後には必ず暗黙の次元の「知る」という動作がある」ということを

示した概念である。この意味では「暗黙に知ること」と訳したほうがよい。

たとえば自転車に乗る場合、人は一度乗り方を覚えると年月を経ても乗り方を忘れない。

自転車を乗りこなすには数々の難しい技術があるのにもかかわらず、である。

そしてその乗りかたを人に言葉で説明するのは困難である。

つまり人の身体には、

明示的には意識化されないものの、暗黙のうちに複雑な制御を実行する過程が常に作動しており、

自転車の制御を可能にしている。それゆえ知識から人間的要因を「恣意的」として排除しようとすると、

決して操作に還元しえない「知る」という暗黙の過程をも否定することになり、知識そのものを破壊してしまう。

「暗黙知」を単純に「語り得ない知識」と同一視することが広く行われているが、これは安冨歩が指摘したように誤解である。”

とあります。

■見取り稽古

一方、見取り稽古の言葉の意味を調べてみると、字面どおり

”ほかの人の稽古や試合を見て学ぶこと。”

となります。

ちなみに”稽古”という言葉の中には「実技以外のあらゆることを学ぶ」という意味が含まれているという説もあり、

あえて”練習”と言わないようにしていると思われます(私調べ)。

暗黙知と見取り稽古

完全に個人の解釈ですが、合気道における”見取り稽古”とは

  • 技能
  • 技能以外(精神、考え方など?)

を合わせた、「道」を見通す眼の力をつけるためにうってつけの方法なのではないでしょうか。

言葉で表しがたい部分を、目で見て、また、実際に先生や兄弟子から技をかけられて、”感じる”こと。

そして感じたものを身に着けることができるまで試行錯誤する努力、これが非常に重要であると

感じています。

今般、メーカーの製造工場などでは技能継承(ベテランの技を新人に受け継がせる)の効率を考え

マニュアルを作成するなどなされているようです。

このときに、「すべてを文章化(形式知化)できる」と思いこまないように気をつけたいものです。

マニュアルについても動画を用いたものなど分かりやすいものがあり、非常に有効であると思いますが

やはり実際に師匠と技をぶつけ合いながら、言葉をもちいた双方向のコミュニケーションを行わなければならんと

感じています。

常に言語化することは意識しつつ、それでもどうしても言語化できない感覚があることは

当然知っておかなければなりません。

なんというか、あえて言語化しない(できない)ところになにか深い部分があるようなモヤモヤ感も感じています。

すべてを形式知化させようとすると、武道で言えば「道」の要素がぬけてただの競技になってしまったりするような懸念というか。

=====

今日の学び

見取り稽古で眼を養う。

言語化も大切だが、それと併用して良い眼を使うことができればあらゆる分野に応用できるはず。

昨日の一日一新

・新年会(ノルウェー建築の不思議空間にて)

・金の紅茶(セブンイレブン)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存