本日は合気道に行ってまいりました。
稽古後、道場の端で一人、技の復習をしていると
「三好さん、合気道は木剣を振るのと同じですよ」と
兄弟子(大先輩)が声をかけてくれました。
その後、木剣を奥から取り出してきてくれ、
木剣の握り方から振り方、足の運び方など様々なことを
教えてくれました。
木剣を手にしてみると
「自分自身が如何にぶれているか」
を知る所となります。
まっすぐ手を振っているつもりでも
剣先は左右にふれながらぎこちない軌道を描きます。
また、左前スタイルに持ち帰るとその結果は尚更
如実に表れます(合気道は、左右を均等に使うために
左手を前に出して練習も行います。そのため、今回は
木剣も左前にして振ってみたのでした)。
この経験で分かったことは
- 重心がずれている(臍下丹田でなく、重心が前足に大きく移動している)
- 呼吸が浅い(重心を丹田にイメージするため、深い呼吸を利用しなければなりません)
- 気が出ていない(ドラゴンボールのように何か出すわけではありません。が、例えば指先から、何か放出しているイメージを以てすべての動作を行う)
ということです。
同時に、上記の問題を解決するには
「稽古を繰り返すしかない」
と、感じたのでした。
「付け焼刃は効かないぞ、しっかりしたイメージを持ちながら、
同じ動作を繰り返し、繰り返し練習しなければ!」と。
さて先日、鍵山氏の書籍「やっておいてよかった」について
ふれました。
この本を読んでなぜかいたく感動して、同調して、共感してしまったのですが
ふと、今日の合気道稽古後に
「自分の信念を曲げずに、貫き通すこと」
という概念を自分は欲していて、かつ、この書籍中からその教えの
匂いを多分に嗅ぎ取れたことが、感動の理由であると気づきました。
鍵山氏の場合は「掃除」です。
他の経営者から「お宅の社長は掃除しかできないのか」や「そんな効率の悪い無駄なことやめてしまえばいい」などと何度も言われながら、心が折れそうになりながらも、
鍵山氏は「掃除」を止めなかったと書いてあります。
確かに、表面的に見れば掃除は
「経営者にしかできない」ことではないでしょう。
しかるべき対価を支払って、業者にお願いすれば事足ります。
しかし、掃除という一つの事を信念を持ちながらやり続ける
という行為は、内面的(精神的)には大きな効果を持っていると感じます。
「経営者の前に、一流の人間であるために」は、
掃除が欠かせないものであったのだろう、と。
鍵山氏は「掃除」という行為を以て
自分自身が「ぶれない」ようにコントロールしていたのだと思います。
なんというか、なんでもいいから良い習慣、
例えば
・木剣を毎朝素振りしてみる
・毎日掃除をする
・毎日本を読む
・毎日「ありがとう」という言葉を口に出す …など
を持ち、何か行動をすることで
それが心にも作用するのだと
おぼろげに感じたのでした。
心 技 体
という言葉は
「良い行動習慣(技)を以て 心と体を結びつける」
ということ、という私の勝手な解釈をこじつけて、今日の更新を終えます。
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今日の学び
「ぶれないこと。信念を貫くこと。
一つ、例外を設けてしまえば 一つ、弱くなる」