先日、とある方から新聞の切り抜きを贈って頂きました。
その切抜きとは、朝日新聞の
磯田道史の備える歴史学
という連載記事の中の「佐賀の高潮被害」という特集でした。
私の田舎が佐賀ということで、佐賀の記事を贈って下さいました。感謝。
さて、上記リンクにもあるとおり、
佐賀はかつて軍事大国として、アームストロング砲などの
最新火力を以て力を馳せていたのですが、
この特集では、そこに至る契機について言及されております。
その内容を簡単にまとめます。
- 1828年(文政11年)に佐賀で「シーボルト台風」と
呼ばれる化け物台風が発生。
この台風で、当時の佐賀藩の人口 約36万7千人の2.8%にあたる
1万285人が犠牲になった(佐賀は平野で、海抜高度が低いため
水害の被害が大きくなる)。また、佐賀藩領の耕地の半分が駄目になった。
- 当時佐賀藩は財政の半分ちかくを借金でまかなっていたため
この台風によって政治は完全に行き詰る。※1808年に起こったフェートン号事件(鎖国時代の日本の長崎港にイギリス軍艦が侵入した)の影響で警備の負担が大きくなっていた。その上での台風の急襲。
- 藩政の立て直しのため、浪費壁を持つ当時の藩主、鍋島斉直(なりなお)は引退し
代わりに鍋島斉正(なりまさ;満15歳)が新藩主となる斉正は長崎の出島のオランダ館にて、停泊中のオランダの西洋帆船に乗り込み
構造の見学を行う。鍋島茂義は火縄でなく火打ち石で点火する西洋銃を購入。
ここから兵の洋式化が進み、佐賀藩は軍事技術で最先端を行く。
この記事を読んで、
- 万事が「塞翁が馬」であること
→ フェートン号事件やシーボルト台風で財政破綻の状態から、
藩主交替で軍事技術最先端へ。
- 年齢は関係ないということ
→満15歳の若い藩主でも、論語の「節用愛人」という言葉を根本理念に掲げ
施政方針を定めた。
※節用愛人とは国を治めるためには下記の3つが重要である、という言葉
- 慎重に政策を選び、信頼されること。
- 政治に関わる費用を節約し、国民に還元すること。
- 国民を使役する際には農作業の時期とずらすようにすること。
を学びました。
私は小学校の頃から社会科、とくに歴史の科目が大嫌いで
授業もまともに受けてきませんでした。
よく、父に「なんで昔の事なんて勉強しなきゃいけないの???」と不満をぶちまけては
「未来を予測するために昔の事を勉強しなければいけないんだよ」と諭されていたのを思い出します。
今の歳になってようやくその意味が分かり
現在の教養の無さを嘆くとともに、これからは
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」
を目標に行動していこうと思ったのでした。
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今日のまとめ
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」
「塞翁が馬」
一見、嫌なことが起こっても、それが後々の良いことのきっかけとなりうる。
そもそも「良い」「悪い」という感性は、主観によるものだろう。
これは「幸せ」「不幸せ」についても同様と思える。
あらゆることを「幸せ」に、前向きにとらえる主観を身に着けたい。