教養という言葉について考える。
まず「教養」を辞書でひくと下記の記載がある。
教養
① 教え育てること
② 学問・芸術などにより人間性・知性を磨き高めること。
その基礎となる文化的内容・知識・振る舞い方などは時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる。
次に、「教養」の英語訳である「リベラル・アーツ(liberale arts)」をひく。
リベラル・アーツ
① 自由学芸に同じ。
② 自由な心や批判的知性の育成、また自己覚醒を目的にした大学の教養教育の課程。
自由学芸という言葉が出てきた。自由学芸をひく。
自由学芸
ギリシア・ローマ時代からルネサンスにかけて一般教養を目的とした諸学科。すなわち文法・修辞学・論理学(弁証法)の3学
および算術・幾何学・天文学・音楽の4課の7学科。自由7学科。
ということで、教養・リベラルアーツを身に着けるということは
人間性・批判的知性を身に着ける、ということと同義であるらしい。
今の社会では(例えば就職試験などでは)
言語的な才能および数学的な才能が重視されていると考えられるが
教養という言葉には音楽などの芸術により磨かれた人間性という意味が含まれている。
つまり、特定の範囲の優劣を測る試験で優秀な成績を残したからと言って、
その人が「教養がある人」であるということにはならない。
「教養がある人」は好奇心旺盛であらゆること(有用/無用にかかわらず)に興味を持ち(=直観)
何かを感じ、かつ、言語化(=具体化)できる人だと考える。
上手くまとめることはできないが
例えば、音楽を聴いて直感的に「ステキ!」と思うことがあるが、
そこには1オクターブで周波数が倍になる、音階は等比数列で表すことができる
という数学・物理的な側面もある。
「何か良いと感じる」ことにたいして「どうして良いのか」という問うことで
人それぞれの切り口から理由づけがなされ、
上記のような音楽と物理学との関連を見抜く人もいる。
「教養」とは、多方面からの膨大な入力から相違点・共通点を見つけ出し、
そこから何かしらの概念を導くことと考えている。
そして、一度構築した概念に対し、反例となる事象が発生した際には
その概念を再構築する、、という繰り返しを行い
より多くの方面に対応可能な状態を目指す。
客観的な考え方ができる人は、このような能力に優れているのだと思う。
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今日の学び
「質の良い多方面からの入力を得て、概念を構築する」