友人といったらおこがましいか。勝手にリスペクトしているアニキ的存在のブログで少し前に「今日もていねいに。」という本が紹介されておりました。
こちらのブログ、出版コンサルティングという、他にはなかなか目にかかれないお仕事の切り口で書かれているのでとても面白い。かなり勉強になります。
さて、最近本を読むペースがめっきり減っていた(月に2,3冊程度)のですが、なんとなくこの本は気になり、手に取ってみました。
そしたら、さっと読めるコンパクトさの中に
シンプルに・丁寧に生きるためのヒントがたくさん詰まっていて
たまらなく良い内容だったので紹介します。
ぼくらはいつの間に大人になってしまったのだろう
この本、冒頭からグイグイきます。
本文から引用します。
子どもの頃は、何か目にするたびに質問するものです。
「ねえ、どうして犬はしっぽを振るの?」
「うれしいと思うと、しっぽを振るんだよ」
大人が答えると、子どもはつぎつぎと、新たな質問を繰り出します。
「どうして犬は、うれしいと思うの?」
「みんなと一緒で、いいお天気だと、うれしいと思うんだよ」
「どうしてみんなと一緒で、いいお天気だと、うれしいと思うの?」
あなたは、こんな質問を繰り返して、大人を困らせたことはありませんか。
永遠に子どもではいられないから、人はいつの間にか「質問する側」から「される側」に変わります。
「大人という役割」ではありますが、少しさびしいものです。
ところで、「どうして?」という好奇心を持ち続けるのは、実はとても難しかったりします。
大人の顔で生きることに慣れると、毎日はただの繰り返しになってしまいます。
「だいたい、こんなもんだろ」という馴れ合いで、すべてこなしてしまう。
「どうせ、また同じパターンだ」と、全てを受け流してしまう。
こんな暮らしを続けたら、人の心はたちまち、二、三日放っておかれたパンみたいに、カチカチになってしまいます。
子どものままの好奇心の塊を、大人になっても、ずっと持ち続けることができたら、どんなに素敵でしょう。子どもの頃は人に尋ねていた答えを、自分自身で探したら、無限の発見があることでしょう。
それはおそらく「大人の楽しみ」であり、「生きていく目的」だとさえ思います。
僕たちはいつの間に大人になってしまったのでしょうか。
いつの間に、本当は何も知らないのに、何でも知っているかのように振る舞うようになってしまったのでしょうか。
「自分プロジェクト」をつくる
「今日もていねいに。」では自分プロジェクトなるものが紹介されています。
これは、誰かに「やれ」と言われたことではなく
「これができたら、すてきだろうな、面白いだろうな。新しい発見があるだろうな」
と思えるようなプロジェクトを、小さな規模でいいから沢山つくって、挑戦するというものです。
例えば
「毎日笑顔ですごす」
「ありがとうを一日最低10回言う」
「性格が合わないと感じる人にこそ、こちらから話しかけてみる」
「自分に経験を積むためにお金を使う(変な物欲にまみれない)」
「おいしいコーヒーをドリップできるようになる」
「マラソンでサブ4達成する」
「普段の散歩ルートに生えている雑草の名前を覚える」
などを思いつきました。
みんな、どんな「自分プロジェクト」をつくるのだろう。。。
日常の中の細かい部分、見えない部分に目を向ける
「言葉づかい」「口癖」
「箸の持ち方」
「お金の使い方」
「コミュニケーションのとりかた」
「人から嘘をつかれたときは」
「無駄に音を立てない」
「自然と触れ合う」
などなど、幅広い話題がピックアップされています。
普段の生活の中でおざなりにしてしまっている部分、たくさんあります。
まずはそういった部分を「行動」に反映させて直していかないと、
さびしい、うすっぺらい人生になってしまいそうですね。
細かいことを一つ一つていねいにこなしていくことが、
厚く生きることに繋がりそうです。
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編集後記
今日は夕ご飯を作りました。
また鶏そぼろ。ある程度のレベルに達するまで、同じ料理を作り続けます。
ちなみに前回より今回の方がまずかったので、しばらくはそぼろライフです。
一日一新
いかピー