ブログ、毎日書いていると
”やばい、今日は書くネタがない!なにも思いつかん!!”
と思うことがあります。
どのようなときに「ネタがない」状況に陥るか
まず、どういうときに「ネタがない」状況に陥るかを考えてみると
私の場合は「業務の繁忙期・残業時間が増えているとき」がほとんどです。
業務の込み入ったことをブログに書くわけにもいかないし、
残業増えたときは家に帰っても寝るだけになってしまい気力がヘモジーになってしまいます(ヘモジーはアークザラッドというゲームに出てくるキャラクター。見た目からわかるとおり気力がありません)。
他にブログが書けないケースとして、「なんとなく気分が落ち込んでいるとき」という場合もありましたが
最近は落ち込んだ原因を分析し、負の感情が浄化されたのちにブログに書くということを行っているため
頻度はかなり減りました。
ネタがないからこそネタをさがす
ブログは毎日更新(日付をまたいである日は更新なし、翌日に2回更新となってしまうこともあるけど)を基本としているので、
なにかしらは書かなければなりません。書かないという選択肢はないのです。
こうなるとPCの前に座って「うーん、うーん、、、」と悩みながら1時間が過ぎることなんてざらです。
このときになって”自分が如何に漫然と一日を過ごしたか”を思い知らされることになります。
「あぁ、今日なにか新しいことをやっておけばよかった。」
「明日は通勤ルートを少しだけ変えてみようかな。」
「今まで行きたかったけど行けてなかったご飯屋さんに行ってみようかな。」
などなど、今後になにかしら行動を起こす火種となってくれます。
ブログは情報発信をしてなんぼのものだと思いますが、
情報発信できなくとも「自分自身のバロメータになる」という意味でも効用があります。
ちなみに一昨日、iPhone6を誤って落とし画面がとてつもなくおしゃれデザインになってしまったのですが
このときも
「ぐぎゃー!おとしてしもた!割れてしもうた!!ちくしょー!!」
という怒り?の感情が湧いた3秒後には
「あれ?これってブログのネタになるんじゃね? ありがたや ありがたや。私のiPhoneはおしゃれ泥棒!」
と謎の感情の転換を行うことができました。
ということで、毎日ブログを書く人にとってはトラブルもネタ。
すべてはありがたいものなのです。
あらゆる事象がネタとして感謝の対象となるという意味でブログを書くことは精神安定剤にもなります
(ブログを書きたいけど文章が思いつかないときのストレスは置いておきます)。
「あらゆる事に感謝」というと、仏道の精神にも共通しているような気さえしてきますね。ブログ最高!
ネタがない ことはない
ここまで「ネタがない」という話をしてきたのですが、
「ネタがない」なんて本当はありえない話ですね。
毎日毎日、色々な刺激を五感で受け取って、
それに対して何かしらリアクション(感情だったり、行動だったり)を返しているはずだので。
そのリアクションに自分自身が気づいていないというだけで
なにか一つの感じかたをとっても、それだけで十分、言葉を綴ることは可能です。
例えば
「最近は段々と日が伸びてきて、彼岸桜も咲いてきて、なんだか心地いいです。」
みたいなことでも
「なぜ日が伸びて桜が咲いていると心地よいと思うのか」
「桜の種類で咲く時期が違うのはなぜなのか」
「関東と関西では”桜もち”が指しているものが違うよね(関東では「道明寺」と呼ばれているものが関西では”桜もち”)」
とか、広げようと思えばいくらでも広げれます。
つまり、普段の自身の行動にマインドフルネスになれば(注意をむければ)
ネタがない、という状況はありません。
なにかネタを拾ってはちまちま文章化していくことで
文章を生むセンスも磨かれていくはずと信じています。
まとめ
毎日ブログを書いていると、ネタがないと感じるときがある。
しかし、普段生きている中でネタがないということなどない
(この投稿のように「ネタがない」ということすら、ネタにできてしまうし)。
ネタがないと感じるときは
自分自身の普段の行動・感情に対してもっと意識を向けてみよう
という”漫然とした日々を過ごさぬため”の動機づけとなってくれる。
ブログを毎日書くことは、他者への情報発信の意味のほかに、自分自身の状態を知ることができるという大きな効用がある。
つまり、
「ネタが無いから書けない」ではなく「書かないからネタが無い(ネタがあることに気づかない・気付けない)」ということになる。
今日の学び
【ネタがない なんてことはない】
=====
編集後記
最近、部屋の掃除ができておらずカオスとなっています。
今日はしっかり片づけしたい。
一日一新
・(ちゃんとした?)ファビコン作成
・ロゴ画像作成
・Amazon出品