フルマラソン、トライアスロンをやるようになって
・ふらっと10km、20km走る
・ふらっとプールにいって1,2km泳ぐ
・ふらっと自転車にまたがって30-60km漕ぐ
ということが「普通」になった。
で、
この「普通」は自分の中にとどめ、決して会社の同僚などに押し付けてはならないな
と思った次第。
相手に押し付けないためにも
「ボクは○○と考えてます」
「私は××と思っています」
というように、Iを付けるIメッセージを使うようにしたい。
一年前の自分の「普通」
一年前の自分は、トライアスロンもマラソンも未経験。
ロードレースも13kmのイベントに出たことがある程度で、
ハーフマラソンはちょっと敷居が高いな、、、というレベルだった。
フルマラソンなんて、その道を目指す特異な人だけが申し込むと思っていた。
たまにランニングするときも、3kmとかがふつう。
現在の自分の「普通」
あるビジネス系の勉強会に参加したことがきっかけで、マラソンとトライアスロンに取り組むようになった。
スーパービジネスマン達と知り合って、彼らが耐久系スポーツでも結果を残していることを知り、
「自分もマラソン走ればビジネスで成果でるんじゃね?」と勘違いしてしまったことによる。
安易な思考であったと反省はしているが、後悔はしていない。
主なレースの履歴は下記の通り。短期間のうちに距離が倍増していった。
・2014年11月 初ハーフマラソン
・2015年1月 初フルマラソン
・2015年3月 久米島トライアスロン(ミドルディスタンス;スイム2km バイク66km、ラン20km)
・2015年6月 五島トライアスロン(アイアンマンディスタンス;スイム3.8km バイク180.2km、ラン42.2km)
結果、一年前の「13kmのロードレースにエントリーするぞ!」というくらいの気持ちでフルマラソンにエントリーしてしまうようになった。
みんな走ればいいのに思考
一年前から今に至るまでを振り返って思ったのは
「案外、いけんじゃん!」
ということ。
一年前は「絶対無理だろう!」と思っていたことも
いざやってみたら「なんとかなる」(というより、なんとかする)もんだ、ってことが分かった。
この感覚が気持ちよくって、この感覚を共有したいがために
同僚とかにも気軽に「とりあえずハーフエントリーしようよ!一緒に走らない?」とか言うようになった。
「みんな走ればいいのに」思考である。
しかし、よくよく考えてみれば、自分に
・もともと運動するのが好きだった
・自分は就職してからも多少は運動を続けていた(バスケとか)
・普段から謎のフラストレーションを抱えていた(日常に満足できず、何かしなければならない!という気持ち)
・後先考えずにノリで動く
などの性格があったから、こうなってしまったように思える。
ふと、上記の性格を無視して人に意見するのもどうかな、と最近考え、
しつこくレースに誘うことは辞めようと考えた。
あまりに当たり前すぎるけど、走ることに興味を持った人だけ走ればよい。
自分がこんだけ走るからって、人にもそんだけ走らせようとするのは余計なお世話
(でも、身近にむちゃぶりな誘いに乗ってくる人もいて、それはそれで楽しいのだけど)。
人によって考えは違うのだから、その人が自身の考えに従って行動すればよいだけの話。
脱線;ブログもそうだよね
ブログ更新していても同じようなことを考える。
「いくら駄文を書いても何の意味もない。量より質」
「量質転化。毎日書くことに意味がある」
「自分自身の内省のために書く。人に読まれなくても問題ない」
「人に読まれなきゃ意味がない」
みんな、いろいろな考えを持っている。
ここで
「私は○○と考えている」
と発言するのは全然OKだけど
「みんな○○すべきだ」
みたいに自分の意見を人に押し付けるようになってはならない。
人それぞれ性格も違うし、ブログ更新の目的も異なる。
自分にとっての正解が人にとっての正解とは限らない。
だからこそ、発言する際には
Iメッセージ
を意識していこうと思う今般。
「私は○○と思う」
というように「私は」をつけるだけで、「私は勝手にこう思ってますよ」というニュアンスが出てくる。
あなたはあなたの思うようにやってね、という感じ。
Iメッセージに共感してくれる人とは一緒に楽しみ、
異なる意見を持っている人がいれば「なるほど、そういう考えなのね」でおしまい。
最近自分を振り返って、強引過ぎるかなー、と思うところもあったので
無理強いせずにまったり生きて行こうと考えたのでした。
=====
編集後記
公園で屋外バスケ。
見知らぬ人から声をかけられて、簡単な3on3ならぬ4on4をやって
楽しかった。
一日一新
初めての公園で初めてのメンバとバスケ
銭湯までラン