「資格をとっても意味がない」という言葉は
その資格を持っている人だけが使うことができるもの。
そして、実際に資格を持っている人が「資格を取っても意味がない」と言っていたとしても
そこでの「意味」という言葉が何を指しているかを察する必要がある。
自分自身を振り返れば、資格あれば就職活動に有利だろう、ということで試験を受けて
学生の頃に「基本情報技術者」「ソフトウェア開発技術者」など取得した
(実際、ソフ開は面接でも食いつかれることが多かったので有利だったと思う)。
それ以降は特に”資格が生きる”という感覚もなかったのだが、
ここ最近「あ、資格取っておいてよかったのかも」と思う機会が増えた。
その理由は
- 新しい言葉を知ることができる(専門用語など)
- スキルレベルを客観的に把握・表現しやすい
- 給料があがりやすい(手当などある会社の場合
の3点。
1については後述する。
2のスキルレベルを説明しやすい、というのは
「この資格とりました」と言えば、最低限このくらいの知識はあるのね、という
証になるので、取引先との会話がスムーズになるということ。
下手な前置きをスキップできる。
3の給料についてはいわずもがな。手当があれば一時金で数万円もらえたり、基本給にプラスアルファでもらえるところもあるようだ。
ちなみに私の会社は0円(手当なし)。いたしかたないが、せめてスマイルくらいつけてほしい。
さて、ここで意外に重要なのが1の「新しい言葉を知ることができる」というもの。
この前、入社以来ハードウェア開発一筋の人と話をしているときに
通じない言葉がいくつかあった。
「情報隠ぺい」、「モジュール結合度」「ドライバ・スタブ」などといった感じ。
で、仮にハード担当の彼が基本情報処理技術者の資格を持っていたら、
上記ワードは難なく解することができたはずだった。
こういう言葉を「知っている」「聞いたことがある」というだけで、
その分野の技術に対する”親近感”が高まり、
後々ソフトウェア開発を勉強する際に
すんなり頭に入ってくるという効果がある。
ということで、何か優先度の高い、やりたいことがあるならそれを優先すればよいし、
特に何もないなら興味ありそうな資格を取ってみるのは非常に有益だと考えている。
学生の頃はお金を払って勉強したり、試験を受けたりしていたのに
社会人になった途端、多くの人がその歩みを一斉に止めてしまうのはなぜなのだろうか
(考え方によっては、ちょっとでもやれば周囲から抜きん出ることができるので逆にチャンスなんだけど)。
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編集後記
ものすごくぶち抜けたIさんの講演会の振り返り。
才能を爆発させるために「何を選択するか」が重要ということを学ぶ。
・興味がない
・行きたくない
・高い(お金がかかる)
という負の3拍子がそろったことこそ、あえてチャレンジする、という面白いルールを実行。
一日一新
金のハンバーグ(7&i 味に期待しすぎた。