自分がなにかに興味をもつとすれば
それは、
その対象を美しいと感じるから だと今更ながら気づいた。
うまく言葉に表せないが「結ばれる」という表現がしっくりくるかも。
自分の内外関わらず、そういう「美しい」と思う対象と出会ったときは
対象と自分が結ばれて、心が動く。
どういうときに美しいと感じるのか
どういうときに美しいと思うのか、結ばれると思うのか。
最近思っているのは「共鳴・共振・共感」があるとき。
その人特有の周波数に、ゔぃ~んと深く共鳴する何かが存在するときが、美しいと感じるときだ。
人の話す声にしても、口先だけの声よりも、腹の底から発せられる声の方が自身の奥深くに響くように感じるし、
楽器にしても良い(と言われる)ものの方が奥底に響くことが多い。深みがあるとも言える。
絵画を見ても、目から入力されたなんかしらの振動が体の奥に響くように感じるときがある。
スポーツで体を動かすときも、骨盤と肩甲骨周りを中心に四肢が連動して動いてくれると
体全身が繋がって、エネルギーが波打ちながら伝わっている感覚が心地よい。
趣味でやっている合気道では、自分と相手と結んでしまって一つの存在のようになってしまう。
合気道の話をするとよく聞かれるけど、上手い人に投げられると痛くない
(実際は畳に叩きつけられるから痛いんだけど、ちゃんと受け身が取れれば、痛みよりも大きな力を感じた感動というか、気持ちよさが先にくる)。
ちなみに自分は相手と結ぶレベルには程遠い。。orz 力みを伝えてしまう。。
上に挙げたものには共通して、
表面的な刺激というよりも体の底からじわじわくるような、遠赤外線的なサムシングが、ある。
美しい≠整っている
ここで言っている「美しい」は「整っている」とは異なる。
例えば、
鍛えられて引き締まった(整った)体を美しいとも思うし、
衰えて段々とたるんでいく(整っていない)体もそれはそれで美しいと思う。
きれいな言葉でもそれが飾った偽物なら美しいと思わないし、
汚い言葉でもそれが素直な声だったら美しいと思う。
小さな子ども全身全霊泣きわめいているときも、美しいと思ったりする(ただただうるさいと思うときもある)。
場合によりけり。
また、男性の和装なら、引き締まっているよりも恰幅が良いほうが風格が出たりもするし、
スーツなら引き締まった体で、サイズがあったものをキチンと着ている方が美しい。
ということで、ここでの「美しい」とは小奇麗にまとまっているというのではなく、
「バランス・調和している」の方が「結ばれる」という言葉の意味に近いかもしれない。
まとめ
来年以降は「美しい」をテーマに過ごしてみようと思う。
目下、体の動かし方とか声の出し方あたりから。
あと美術・音楽とか自然風景とかにもっとたくさん触れたい。
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音楽聞いていると不協和音を美しいと思ったりするけど、
これは食事で言うところの化学調味料的なことなのか。
調和していなくても、パンチが効いているから良いと思うのか。。
一人でモクモクと探求するのが楽しくてたまらない。
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[編集後記]
新しい歳は走る歳にする予定。
[一日一新]
onクラウドフロー
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おわり